「さぁ〜て、どうすっかねぇ」

右手でリボンがかけられた小箱を転がしながら、ひとりごちた。


***


「たーらいまー」

それ程酔っちゃいなかったがわざとそういう風を装って家に入ると、待ちわびたように奥からパタパタと足音が近付いてくるのが聞こえた。

「僚!何時だと思ってんだ、夜中の2時よ2時!こんな時間までツケで飲んだくれて」

開口一番そう言う香の目は腫れ充血していて、避けずに受けとめたハンマーはいつもより軽い。
もう寝る!と踵を返しリビングをあとにする頬には、微かな涙の跡。


「馬鹿なやつ。」           

もっとも、その香を泣かせているのは自分だってのに。
きっと今日も、俺を心配して起きて待っていたんだろう。まだ温もりの残るソファをゆっくりと撫でながら、そう思った。

自分の元に引き寄せて、そして突き放して。
それにもめげずについて来る香には気付かないふりをして。

本当はこの手で縛り付けておきたい

でもそれができない。
できたらとっくにやってる。


「こんなもん、買うんじゃなかったなぁ」

リボンを乱暴に取り去って、包装紙をビリビリと破り捨てた。

「明日誰か適当にあげちまうか・・・」

しっかりとした小箱の中で光る、シンプルなピンクゴールドのリング。きっと色白な香に似合うだろう、と選んで買った華奢なリング。

「くっだらねぇの」

あいつにとっての指輪は槙村の形見ひとつで十分だ。
なのに何を思ったか、こんなもんを買っちまって。
たまたまやった福引きで当たった、ちょうどお前の誕生日だし、いらねぇからくれてやるよ、そう帰ってくる間に何度も何度も反復練習してきた自分が恥ずかしい。

手に取って明かりに翳せば、キラキラと光るそれ。
香サイズのリングは、俺にはとても小さすぎる。
静かにそれを小箱に戻して、ジャケットのポケットに突っ込んだ。



***



「聞いてよ美樹さん、あいつまたツケで夜中まで飲み歩いてんのよ!この前やっと貯まってたツケを清算したばっかなのに」

ガチャンとカップが音を立てて、コーヒーがカウンターにこぼれる。

「まあまあ、香さん落ち着いて」

これで今日何度目か、こぼれたコーヒーを拭きながら香をたしなめた。

「もう、信じられないっ」
「はは、香さん、コーヒー新しいのいれるわね」
「やだ、いいわよ。悪いわ」
「これは私の奢り。ね?」
「ありがとう」

まだ一口二口しか口を付けていないのに空っぽになってしまったカップを下げていると、カランとカウベルが来客を知らせた。


「やっほー!美樹ちゅわ〜ん。今日も綺麗だねぇボキとデエトしよぉ〜」
「ちょ、ちょっと冴羽さん。香さんがいるのに」
「げっ、香!ま、待て、早まるな、お前、またキャッツを目茶苦茶に・・・グエッ」

地響きと共に、カエルの潰れたような音が店内に響く。

「こんのドアホ、いっぺん死んでこい!美樹さん、御馳走様でした」

「待って香さん、おかわりは?」
「また今度!」

ドスドスと足音が遠ざかっていくのを確認してからハンマーの下から這い出す男に、美樹は思わず溜息を零した。



「あらあら。ま、冴羽さんが見事に受け止めてくれたお陰で、被害は最小限で済んだみたいね」
「そうみたいねハハ」
「で、何か私に話があるんでしょ?香さんには聞かれたくないこと?・・・あら」

もう、相変わらず不器用ね。と飽きれた顔の美樹ちゃん。
やっとハンマーの下から這い出して埃を払っている俺の傍ら、足元をからソレを拾い上げた。

「指輪じゃない。これ、冴羽さんが?」

しまった
ジャケットのポケットに入れたまま忘れていた。

「まさか香さんに?」
「ま、まさかぁー。美樹ちゃんにだよ」
「あら、あたしはこんな指が細くないわ。それにこの内側の石、アクアマリンじゃない。」
「へ、?へぇーそうなんだあ」
「3月の誕生石。ふふ。そういえば香さん、この前お兄さんの形見の指輪が一時何処かにいっちゃったって慌ててたわね」
「ぎくっ」
「そろそろ誕生日だし、今年は二人で過ごすんでしょ?」
「い、いや、香はみんなに祝ってもらった方が嬉しいんじゃないかな?」


ふーん、そうねと美樹ちゃん。顔が、あからさまに何か企んでるぞ、おい。勘弁してくれ。


「冴羽さん、これ私にって言ったわよね?」
「え、あ、はぁ」
「じゃあ喜んで受けとっておくわ。ありがとう」
「いいえ・・・」

その笑顔の下の見えない企てに、背筋を冷たい汗が流れた。


***


「香ぃ〜、コーヒーまだかあ」
「今持ってくからちょっと待ってて」
「おう」

「はい、お待たせ」
「サンキュ」

差し出されるカップを受け取る。その拍子に触れた香の手に、いつもは感じない何か冷たい感触を覚えた。

「ん?」
「あ、これ?さっきキャッツに寄ったら、美樹さんがくれたのよ」

視線の先には、見覚えのあるピンクゴールドのリングが右手薬指に光っていた。

「おま、」
「あ、うん、分かってる。後で外すから!あたしも、僚にチャラチャラすんなって怒られちゃうからって断ったんだけどね」
気に入ってた指輪が入らなくなって、保管しておくのも勿体無いし折角だからあたしにって美樹さんが。
サイズも、きっと合わないわって、それでも断ったの。気に入ってたものなら尚更悪いじゃない。だけど、断りきれなくて指に通したらピッタリで。
それで・・・

ごめん、と申し訳なさそうに右手のそれを外そうとする手を掴んだ。

「僚?」

バカが。
素直になれない俺のせいで、香はしなくていい思いまでしている。
身なりの制限をするような事を言ったのも事実だ。
いざという時、という理由はあながち間違いではないが、本当は、――

バカが。

俺は、一体香をどれほど苦しめればいいのか。
小さくなった身体が微かに震えて、苦しげに眉根が寄せられる。今にも泣きそうな香に、俺は自己嫌悪した。

掴んでいた手をそのまま引っ張って、倒れこんだ香を抱きしめる。

「・・・ る」
「え?」
「似合ってる」
「っ、な、何言ってんの!」

胸の中の熱が、もぞもぞと身じろぎする。逃げられないように強く抱き直した。


「すまん」
「どうして謝るの」

腕の中で大人しくなった香が、顔を上げる。
その表情とふわりと立ち上る匂いに、身体の奥がどくんと波立った。


「ありがとう」
「どうして感謝すんだよ」

「これ」

右手が差し出される

「あ?」
「僚、がくれたんだよね?本当は」
「美樹ちゃんがそう言ったのか」
「ううん。」
「じゃあどうして」
「なんとなく、そう思ったの」
「ああ?」
「それに、内側のアクアマリン。美樹さんは3月生まれじゃないしおかしいなって」
「参ったな」

ボリボリと頭をかく。
照れ隠しに、この鈍感娘が、変な所で鋭くなりやがって!とデコピンをお見舞いしてやった。

「いたっ、何すんのよ!」
「それ、お前の好きにしていいぞ」
「僚」

ありがとう、と俺の胸に顔を埋めた香がもう一度囁いた。




***


「香さん、この前の指輪どうしたの?」

後日。
あたしはいつものように伝言板に依頼がないことを確認してから、たまたま見掛けた僚を引き連れてキャッツに寄った。
美樹さんがカウンターから身を乗り出して、あたしの両手を見る。そこに何もないことを確認して、落胆とも悲しみともとれる表情をした。

「冴羽さん」

静かな物言いとは裏腹に、凄みを含んだ美樹さんの視線が、隣の僚に向けられる。

「美樹ちゃん、コーヒーまだぁ?」
「冴羽さん、あなたってば」
「美樹、落ち着け」
「ファルコンは黙ってて」
「美樹さん、」
「え?」

首元から、細いチェーンを引っ張り出して見せる。
するりとチェーンを滑るそれが一滴の光を放った。

「ごめんなさいね二人とも。今コーヒーいれるから」
「ありがとう、美樹さん」



あの日、結局あたしは耐え切れずに泣いてしまって、それに僚は苦笑いしながらずっと抱きしめ続けてくれた。
その翌日、泣き疲れたあたしを連れて僚が向かったのは、ある宝石店。
しばらくして返ってきたリングに刻印されたR to Kの文字にまた泣いてしまって大事なそれを落としてしまったあたしに、僚はまた苦笑いをして、仕方ない奴だなとこのチェーンにリングを通して あたしの首に付けてくれたのだ。


「香さん、これサービスね」

出されたケーキを食べながらまた目の奥がじんとしてしまって、美樹さんはもちろん海坊主さんまでにも迷惑をかける羽目になってしまった。
キャッツを出るときのお礼の言葉も、鼻声で上手く言えたか分からない。


ぼーっとする頭のまま僚と一緒に家路を歩く。
暫くあたしを宥めていた僚の手が背中から離れた。

「本当、弱っちぃなあお前」
「え?」
「そんなもんでさあ」
「そんなもんじゃないの、あたしにとっては」
「・・・そうか」

そういいながらまた涙腺が緩むのを感じて、やっぱりあたしは弱いのだと実感した。僚に守られているから、今まで生きていられたのだとも。

「あー、もう泣くんじゃない」
大きな手がぐりぐりと乱暴にあたしの頭を掻き乱す。
唐突に僚の高い体温が恋しくなって、その手を握った。

「僚、」
「ん?」
「ちょっと、顔貸して」
「高くつくぜ?」
「いいよ」
「んじゃ、どうぞ?」

向き合った僚が少し身を屈める。
何も言わずに待つ男のそれに、触れるだけのキスをした。

「お、い」
「早く、家帰ろ?」
「まいったな、こりゃ」

ふふ。
あの僚が豆鉄砲をくらった鳩みたいな、間抜けな顔して。ちょっとは驚いたかしら?普段のお返しよ。

「許さねーぞ、覚悟しとけよ香チャン」
「きゃー」
「おい、こら待て!」






「相変わらずね、あの二人」
そう零したのは向かいのビルの住人。

「そうだな。カオリが可哀相だ」
「何だかんだ言いながら、あの二人はお互いを大切にしているわ」
「Yes.気付いていないのは当事者だけさ、カズエ」
「ふふ。あ、」
「What?」
「お熱いわねー」
「こっ、公然猥褻だ!やめろ!!俺のカオリがぁ〜!」

そう窓の外に小さく叫べば、下にいる男はこちらを一瞥してニヤリと笑うと、すっかり力の抜けた女を抱え上げてアパートの中に消えていった。













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はぴば!カオリン!!





























 

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