「うっ・・・そ」

今日も今日とて惰性で訪れた新宿駅の伝言板に、しばらくお目にかからなかった三文字を見つけたあたし。
いつもなら涙を流して喜ぶ数週間ぶりの依頼だ。貯金だって底をつき、ワガママな大男をたしなめながらの質素倹約の生活に、一時的にでもある程度の潤いが与えられるだろう。
しかし今のあたしは、何故よりにもよってこのタイミングなのかと内心複雑な心境だった。


***

「リョウ」
「あー?」
「あの、もうすぐじゃない、あんたの誕生日」
「あ?ああ、そうだな」
「なんか欲しいものとかある?」
「ない」
「もうちょっと真剣に考えてよ!!」
「んなこと言われたってなあ・・・」

わざわざ聞かずとも、大体想像は付いていた。
長いこと同じ屋根の下で暮らしていて、性欲は呆れるほどの底なしなのに、物欲はこの男から感じたことがない。
分かってはいても毎年毎年、同じやり取りを繰り返すのだ。

んー、とわざとらしく考えるフリをしていた僚は、指をパチンと鳴らしてあたしの両腕を掴んだ。

「お前でいい」

にやり。
あたしを試すような意地の悪い笑みに、つい思わず赤面してしまう。
今朝まで散々ベッドの中で見せ付けられた顔。自分を穿つ熱い猛りを思い出して身体がじんとした。
それを僚が見逃してくれるはずもなく、ナニ想像してんだ?香チャンてばやらしーとまた意地の悪い顔。
ああ、もうこいつ分かってやってるわね・・・
せめてもの反抗にキッと睨めつけてやったら、くつくつと笑って「お前は何にも分かってないのな」だって。
なによなによ!自分ばっかり余裕で全部分かってるような口きいて!あたしだってもう子供じゃないのよ!

「お前、そういうカオ外でするんじゃねえぞ」
「は?」
「そこら辺の男を誘われちゃたまんねえ」
「さ、誘ってなんかないわよ!」
「ほら、そういう顔を誘ってるって言うの。無意識ってのがまたタチが悪ぃな」

はあ、と大袈裟に溜息を吐いてあたしを見上げた僚の瞳に劣情が揺らめいたのを感じて、咄嗟に身を引こうとするも時すでに遅し。
場所を変え変え朝方まで弄ばれ続けて、結局返ってきた返事が「お前が俺のそばで一緒に過ごしてくれればいい」って。
そんなの、あたりまえじゃない。その上でプレゼントは何がいいかと聞いたのに。
どうしたものか、と頭を抱えたのが五日前の話。

去年もギリギリまで悩みに悩んで、最後はたまたま通りかかったアクセサリーショップの店員に押し切られる形で買ったネックレスを渡した。
と、いうよりも。
僚がアクセサリーをつけないことくらい知っていたので、プレゼントは買い忘れたということにして渡さずに自室のベッドボードに置いておいたら、知らぬ間にそれが僚の首にかかっていたのだ。
それにはすごくビックリしたし嬉しかったけれど、何だかんだ言って本人はやっぱり邪魔だったみたいで、次の日からはペンダントトップだけ家や車の鍵と一緒にぶら下がっていた。

そして今年は。

何かないかと探りを入れるため、本人の留守中に忍び込んだ僚の部屋。
ベッド下を漁ると次々出てくる愛蔵書の過激さに、目を白黒させてすっかりヘトヘトになってしまった。

「りょ、僚ってこんなのが好きなの・・・?」

いやいやいや、こんな格好、真似できる訳がない。
でも、・・・

あたしは散らかったそれらを元通りに片付けると、自室に向かった。
一応同居人がまだ帰っていないことを確認してから、引き出しの奥から黒いセクシーな下着を引っ張り出す。
いつか僚に買わされたそれ。結局その日の夜に一度着けたっきり、身につけることはなかった。

先程の雑誌に写っていたブロンド美女を思い浮かべる。

「誕生日くらい・・・、でも、僚は何て言うかしら」

思い浮かべてひとり撃沈し、そっと下着を引き出しの奥に仕舞い直した。

次の日、改めて決心をしたあたしは朝帰りで熟睡した僚の目を盗んで、昼間ある場所に向かった。
そこで購入したものは念には念を入れて、紙袋に入れガムテープで封をしてからこっそりキッチンの棚に隠した。
あたしの部屋じゃ、あいつが漁った時に見付けられる可能性があるから。

「これで準備は整ったわ!後はその時を待つだけね!」
「その時って?」
「やだ、決まってるじゃな・・・わああああっ」
「・・・んだよ、朝っぱらからうるせーな」
「も、もももう15時よ!おそよう!!」
「なんだそりゃ」
「はははは」

コーヒー飲むでしょ、飲むわよね、と巻き付く太い腕を振り払ってすかさずハンマーを叩きつけ間一髪。

(あ、あぶない・・・)

このまま接触を許したら意地でも吐かせられるのは目に見えていた。
ここまできたら、なんとしてもやり遂げてやるのよ!と手に汗握って意気込んだのが三日前の話。



そして話は冒頭に遡る。



「僚の誕生日は、二人で一緒に過ごそうって言ったじゃない」
「んなこと言っても、仕事なんだから仕方ねえだろ」
「じゃあせめてあたしを連れてってよ」
「それはだめ。危険すぎる。それに今回ばかりはお前が居たら足手まといだ」

そう言われてしまってはこちらも何も言えない。
確かに今回の仕事は少し厄介で、当初に請けた依頼を大急ぎで完了すると共に芋づる方式で新興麻薬組織の問題が浮上し、これまたそれが警察も迂闊に手を出せずにいた程の組織だとかで、冴子さんも絡んだ新たな依頼として有無を言わさず受ける羽目になってしまった。

僚の誕生日はいよいよ明日に迫っていた。 
すっかりしゅんとしてしまったあたしを見て、さすがの当人も困り顔。

「じゃあ、な」
「うん・・・いってらっしゃい」
「おう。しっかり寝ろよ。風邪引くんじゃねえぞ」
「・・・子供じゃないんだからっ!そのくらい分かってるわよ!」
「ふっ。おまぁはそのぐらい元気な方がいいぜ。んじゃ!」
「あんたこそ、せいぜい居眠りして寝首かかれないようにするのね!」
「気をつけまーす」

ひらひら、振り返らずに振られる手が見えなくなってから、深い溜息を吐いた。

海坊主さんの手を借りて、今日の深夜に決行する予定だと聞かされている。
相手次第でいつ帰れるかは分からない、とも。
当然、日付が変わる瞬間を一緒に過ごすことは不可能なわけで。それどころか、僚の誕生日を当日に祝えるかどうかもあやしい。
こうしてあたしの大きな決心はいとも簡単に腰が折れてしまい、同時にこんな時になにもできない自分の非力さを改めて嘆じた。


***

気がつけば、あっという間にあと数分で日付が変わろうかという時間になってしまっていた。
知らず知らずのうちに強く握り締めていた手は指先が白くなり、じりじりと痺れる。
テーブルの上に置いた携帯が突然震えて、慌てて取ろうとしたそれを派手に落としてしまった。


「もっもしもし」
『ああ、まだ起きてたか』
「うん・・・」
『今リビング?』
「そう」
『寝る時はちゃんと自分の部屋に移動しろよ』
「・・・もう、さっきからあたしのことはどうでもいいでしょ!それより僚は大丈夫なの?怪我してない?」
『ああ。なかなかむこうも動かなくてな。ま、もうちょい様子見ってとこ』
「そっか・・・」
『あーあ、退屈だな〜。早く帰って香チャンのベビードール姿が見たい』
「・・・なっ、!!!」
『真紅のシルクに黒いレースのパイピング、なかなかいいセンスしてるぜ』
「あああああんた何でそれを!」
『俺に隠し事なんて、百年早いの。で、香チャンそれって俺への誕生日プレゼント?まさか当日限りとか言わないよな?』
「と、当日限り有効のプレゼントよ!一秒でも26日を過ぎたら着ずに捨てるわ!」
『ぬぁんだってーー!!それはいかん、いかんぞ香!というかお前、俺への誕生日プレゼントが当日限りってなんだよ!』
「ふんっ。だったら無事に早く帰ってきてよね!」
『・・・了解』
「それと、」
『ちっ、あいつらいきなり動き出しやがった・・・、すまん香、いったん切るぞ』
「ちょっと待ってよ!あと十秒で日付が変わるから!」
『じゃあな』

必死に引き止める言葉には耳も貸さず、無情にも切られた電話。
こうなってしまえば、向こうの様子が分からないあたしにはただ待つことしかできない。

携帯電話を強く耳に押し当てていたお陰でかすかに聞き取れた、切る間際に僚が小さく呟いた愛してるって言葉に、また切なくなった。
絶対に、また後でもう一度言ってもらおう。そして今度こそは「あたしも」って返事するの。

時計が0時を指した。

「僚、ハッピーバースデイ」

僚の無事を祈りながら、あたしは冷え切った自分の身体を抱きしめた。

To be continued.

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