都内にある高層ホテル。敷居の高い格式あるそこは、足を踏み入れるのさえも億劫になるほどきらびやかだ。
ベルボーイを一瞥し、専用のエレベーターに乗って最上階へと向かう。

セキュリティーチェックを済ませ、促されるまま吹き抜けのエントランスで私たちはN国の大統領と顔を合わせた。

「よろしく」

差し出された手を握る。
口の周りに髭を蓄えた老人は、形のよい唇を持ち上げ人あたりのよい笑顔を浮かべた。

「こちらこそよろしくお願いします。槇村香です」

そして、と続ける。

「こちらが労働担当の冴羽僚です」
「よろしく」

先程と変わらず屈託のない笑顔を浮かべ再び手を差し出すこの老人が、一国の大統領というのだから驚きだ。

「・・・よろしく」

僚はといえばやる気のない挨拶をしたきり、目線を合わせもしない。


「まあ、こんなところではなんなので移動しましょうかね」

にこりと微笑むこの老人、見事なまでの流暢な日本語で私たちを招き入れた。



***



「失礼します。」

ノックのあと、重々しいドアが静かに軋む。
皺一つない糊のきいたワイシャツに黒のスーツを着込み、片手には黒革の手帳。
いかにもエリート秘書、といった感じの男性が現れた。
小さくお辞儀をすると、機械的に銀フレームの眼鏡を人差し指で押し上げる。

「秘書を勤めさせていただいている、佐伯と申します。早速冴羽様方には詳細をお伝えしたいと思いますので、こちらへどうぞ。」

こうして私たちは大統領の部屋を後にし、長い廊下を進んだある一室に通された。


「こちらが大統領の職務中、冴羽様方に滞在していただく部屋でございます。」

さすが高層ビルなだけあり、突き当たり一面に設けられた窓ガラスからは都内の夜景を一望できる。


「お疲れとは思いますが、依頼にいたるまでの経緯などをお話ししたいと思います。どうぞ、お座りください」

指されたのは革張りの白いソファー。
素人の私でも解るくらい柔らかく上質なそれは、変に恐縮してしまって寛ぐことはできないだろう。
恐る恐る腰を下ろす私に目もくれず、ドカリと腰を下ろす僚。
私たちが座ったのを確認したあと、男はまた眼鏡のフレームを人差し指で押し上げた。

「冴羽さま方はご存知かと思いますが、我が国は現在、非常に治安が不安定な状態でございます。不法入国者の増加はもとより、不正ビザでの入国、国立病院で さえもそれなりのお金を出せばいかなる治療をも施すとの噂もあります」

「たとえそれが銃創であっても、か」

「そのとおり。近年、どうやら密売人によって隣国から流れてくる銃を裏取引する者がいるようです。それが日本円にしてたった数百円程度出せば簡単に手に入 ってしまうようで」

「大量生産の粗悪なトカレフかそんなところだな。それに関しての国の対策案はないのか?」

「ええ。なにうえ決定的な証拠が掴めず・・・」

「それで、俺たちは何をすればいいんだ」

「最近は反政府による反発も強まってきました。そのため、そのような者たちからの護衛が主になってくるかと思います。もちろんこちらも厳重な警備を配置し ておりますが。」

「・・・ん」

「大統領の日本滞在は一週間を予定しております。滞在期間中に何かがあった場合は、どうぞよろしくお願いいたします。」

「はっ、はい、私達にお任せください!」

「それでは、本日はごゆっくりお休みください。失礼します」

「わざわざありがとうございました」

がちゃり、と扉が閉まるのを確認してから、深く息を吐き出した。



「息が詰まりそうだわ・・・さすが大統領クラスになると違うわね。」

掌をひらひらと大袈裟に仰ぎながら窓の前に立ち、窓ガラス越しにぼんやりと映る僚を見やる。


ソファからスラリと伸びる脚
くたくたになったTシャツに包まれた、厚い胸板
人ひとりを軽々と持ち上げてしまう腕
普段のおちゃらけた表情からは想像もつかない、精悍な顔立ち

ああ、僚ってやっぱり・・・


「やだやだ!何考えてるの、あたし!!」


「なんだぁ・・・?」

気付いた僚は眉を寄せ、怪訝そうな表情であたしを見つめた。

「なっ なんでもない!あ、はははは」
「変なやつ」

もう、どうしたのよあたし。
あの日―奥多摩での一件があってから―どうも調子が狂っちゃって・・・


「僚」
「あぁ?また独り言かぁ?」
「あれ、何かしら」
「あれぇ?」
「そ。あの煌々と光ってる大きな屋敷」

漂う微妙な空気をはぐらかそうと、ふと目に入った大きな屋敷を指差して問うた。

「あんな所に、あったかしら」
「どっかの金持ちが建てたんだろ。最近じゃ、怪しいパーティーが頻繁に催されてるって噂だぜ」
「へぇ・・・、」



***



「へぇ・・・、」

ははは・・・
こりゃ相当意識させちまってるよなあ、俺
こうも分かりやすく緊張されると、こちらもなかなか気まずくなってくる。

あの日―奥多摩での一件があってから―、香が俺にハンマーを振ることも少なくなった。代わりに、陰で時折悲しそうな、苦しそうな、そんな表情をするだ け。
隣に歩く香の制裁を期待して、街行くもっこりちゃん相手に道化を演じてみせても、あの顔、だ。
そして何かを言い聞かせるように、「大丈夫だから」と呟く。
さすがにこれには参った。
しかし逃げるように離れて夕方ナンパから帰れば、何事もなかったかのように笑顔で俺を出迎えるのだ。


「ほんと、おまぁ・・・」
「え?何か言った?」
「いんや。」


やっと素直になれたとばかり思っていたが、今やこの距離感がかえって辛い。

ここ最近は何度かそれとなく雰囲気作りをしてみたが、それも香の鈍感ぶりが発揮されてか、二人の関係に未だ進展はない。
ならばいっそこのままの方がいいんじゃねえか、とも思ったりもして。
以前よりも素直に向けられる香の気持ちに気付かないふりをして、俺自身にも嘘をついて、また逃げ出そうとしている自分がいる。


―なあ、香。
お前はこの状態を、どうしたい?



***


また、だ。


「あ、こうしちゃいられない!ちょっとした着替えなんかも持ってこなくちゃね」

あははは、と我ながら情けのない乾いた笑いを浮かべてみるが、どうにも場が持たない。
それもこれも先程からの僚の視線が原因だった。


「・・・なんなのよ」

くるりと身体を反転させ、今度は直接僚を視界に捉える。
漆黒の瞳と、視線が交わった。

「何?顔になにかついてる?」

気まずい。
絡み合う視線を逸らすこともできずに、その場に射すくめられてしまった。
普段はおどけているくせに、ある時期を境にふとこの表情をするようになった。
今まで知らなかった、僚の顔。見たことも無い、瞳。
纏う雰囲気でさえも、男のそれを感じさせる。
うろたえる私をよそに、僚は緩慢な動作でゆっくりとこちらに向かってくる。それでもまだ視線は逸らさない。
私はぞくり、と身震いした。


***


分かってる。
頭ではちゃんと分かってるんだ。
しかしこうしてゆっくりと香の歩調に合わせてやってはいるものの、俺の限界はすぐそこまできていた。


俺は絨毯の感触を確かめるように、ゆっくりと歩みを進める。
すぐさま近づいて掻き抱いてしまいたいのを我慢して、じわりじわりと。

そこでふと気付く。


焦れる自分に。


一人の女にここまでいれ込むなど、昔の俺からしてみれば思ってもみなかったことだ。
その上、俺ともあろう男が自分よりも経験の少ない香相手に、ここまで緊張しているだなんて。俺はガキか。

くだらない思考を振り払って、距離をつめる。
香の瞳に映る自分が見える位置までたどり着いた。

「りょ、う・・・」
「逃げるなよ」

ああ駄目だ
声が震えちまった。
そんな目で見るな


***

「りょ、う・・・」
「逃げるなよ」

背後の窓ガラスに両手をつかれ、身動きが取れない。
いつも以上に低く唸るように呟かれ、ずくん、と身体が疼く。

「まっ、て」

言い終わらないうちに肩にかけた両腕の手首を掴まれ、更に動きの制限ができてしまった。大柄の男でさえもこうなってしまえば身動きできないだろう。
分かってはいるが無抵抗でいるのもなんだか癪で、腕に精一杯力を込める。

「無駄だっての」

互いの吐息が感じられる距離になった。


***

戸惑いの色を湛えた瞳を見つめる。

ああ、まただ。
俺に合わせて何も言わず全てを受け入れようとする香に、否、ここにきて未だ躊躇っている自分自身に、イラついた。

いつも俺の想いがひとり歩きするばかり。
結局、香は俺のことをどう思っているのか。槇村の代わりか?保護者か?それとも・・・。

今更こいつが俺を拒否することはないと、分かってはいる。分かってはいるが。



静かに閉じられる瞳。

どくどく、と心臓が早鐘を打つ。













「・・・あ、カオリちゃん、目やについてやんの」


「・・・っ!?は?」



あーあ。

ここまで進めたコマを、自分でふりだしに戻すようなまね。
我ながら素直じゃねーな、

みるみるうちに羞恥で香の顔が赤く染まってゆく。



「あんたって人は〜・・・!」

「ひー!香サマご勘弁をー!」




振り下ろされるスペシャルハンマー。
お約束の展開に、やっぱり俺らにはこれがなくちゃなあ、と左頬に柔らかな絨毯を感じながら思った。




NEXT//













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肩すかし!
視点が頻繁に変わって読みづらかったでしょうか、すみません。






























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